本音のキャリアカウンセリングのWebサイトをご覧頂き、ありがとうございます。
このページではキャリアカウンセラー 向井 崇広のプロフィールをご紹介します。
カウンセリングはお客様とカウンセラーの共同作業です。そのためカウンセラーとの相性がとても大切です。長文となり恐縮ですが、ご確認の上お申し込み頂けますと安心かと存じます。
概要版もあります。そちらは右下のボタンをクリックしてください。
【はじめに】
私・向井は今、小さな幸せを実感しています。
辛かった時期に願っていた「平穏な仕事と日常」が手に入り、何気ない日常に感謝する日々です。
人と比べた優劣ではなく、自分の基準で実感できています。
こんな私にも振り返ると、心の中に常に雲が覆っているような時期もありました。
自分のキャリアについてもはっきり見通せない時期を経験し、それを踏まえての今と未来だと実感しています。
お客様からお話を伺う前に、まずは私自身の過去を記してみます。

※お断り:当時私が感じたままを記載しております。当時関わっていた方への客観的な評価ではありません。念のため。
【子ども時代 マイペースな鉄道少年だった私】
70年代最後の年の春、私は神奈川県川崎市に生まれました。
第一子として生まれたため、両親もいろいろ子育てには試行錯誤してくれたようです。
物心ついたのは幼稚園の頃。早生まれだったこともあり周囲がお兄さん・お姉さんに見えた記憶があります。弟も生まれましたが、私自身はマイペースに大好きな電車のおもちゃや絵本に夢中になって過ごしていました。
小学校に入ってもマイペースな感じは変わらず、小学校3年の通信簿に「いつも空想の世界で遊んでいます」と書かれていたのを今でも覚えています。鉄道の本を読んでは「いつかは乗りに行きたいな」と夢を膨らませていました。
小学校低学年の頃は周囲もまだノンビリ。マイペースで過ごすことが出来ました。

【小学校中学年時代 「大人を怒らすとコワいな」】
小学校3年頃になると集団生活の中で、自分と他人との違いを自覚するようになっていきます。
今振り返ると周囲の空気に敏感な気質はあり、子どもながら(子どもだからこそ、かもしれません)気を遣うことを学んでいたのがこの頃でした。3・4年生の担任の先生がいわゆる「常識人」たれ、という道徳教育を重んじる方で、「真面目に生きていないとダメになるのかも・・・」という不安感を感じ始めていました。
立派な大人になるためには、〇〇でなければ、という価値観に触れて育った最終世代だったのかな、と思います。
そんな大人達ですが、時に怒ったり感情的になることもあります。自分が大人になってみれば、時に感情的になるのは当然、と分かるのですが、「自分がいい子にしていないから駄目なのかな?」という自分原因的な感覚を無意識に育んでしまっていました。
元々敏感な気質だったこともあり、「大人を怒らすとコワいな」という怯えを心の奥に抱えることになったのです。

【中・高生時代 「努力」と「不安」の間で】
私の入学した中学校はしつけに厳しい学校だったこと、高校選択という人生初の進路選択の中で、「勉強を頑張らなければ」という思いに駆られ必死だった思い出があります。
周囲の大人たちの期待を汲み取って漠然と「成功するためにやらねば!」と感じていました。
小学校3年生の頃生まれた妹がこのころの私を見て「いつもピリピリしていて、コワい」印象だった、と語ってくれました。
実際、頑張ることでそこそこの成果が出て、すっかり「頑張れば、何とかなるんだ!」という気持ちで高校進学しました。
高校は、中学とはうって変わって自主性を重んじる校風で快適だった半面、進学校で全体のレベルが上がったため、成績が伸び悩みました。勉強の内容もしっくりせず、自分なりに頑張っても上手く行かない、という「人生初挫折」を過ごします。
今思えば、大学生活をエンジョイして、夢を語ってくれる先輩が一人いれば安心出来たと思うのですが、視野を拡げる余裕も持てず、将来の進路への不安がもたげていました。
大学進学を希望したものの結局1年浪人。ただ私立大学に進路を絞ったため、苦手分野の勉強が減りました。高校受験同様、努力で何とかなるのでは?という感触を持て無事大学生になれました。
小学校から高校卒業までの12年間、よく学校の朝会で課外活動などの「表彰」が行われますが、一回もその壇上に登る経験が無く終了しました。この辺から何となく、自分の能力の平凡さを理解し、人並みになるために相応の努力をしないといけないのだ、という自覚が芽生えてきました。
【大学時代 「真面目さ」・「勤勉さ」と仕事との出会い】
1年間の浪人生活の末、無事大学に入学。仲の良い友人にも恵まれ楽しい日々を過ごしました。
興味がある事の勉強に専念できることが嬉しく、自分なりに勉強を頑張りました。実際成果も出て、今思うと高校時代の挽回を果たしたかったのだと思います。
当時、コンビニエンスストアでアルバイトをして小売業の面白さに魅了されました。
土砂降りの日に店の前の掃除をしていたら、近所のおじさんから褒められて嬉しかったことを、今でも覚えています。
今思えばアルバイトの気軽さを使って、いろいろな仕事の経験を積んだ方が面白かったのですが、当時は一徹なところがあり、就職は小売り・サービス業だと思い込んで突き進んでいきました。
自分を決められた枠の中に収めた方が安心だ、という自分で自分に足かせをはめるような感じです。
自分が自分を縛る。この辺の清算に十数年後、向き合う事になります。(後述)
【大学時代 不安や自信の無さを「人並み」であることで克服しようと・・・】
一事が万事、自分の中で「この枠の中で収めよう」、と決めた中で頑張る傾向が出たのが大学時代でした。
もっと派手に遊ぶなり、時間が無ければできない挑戦をすればよかったのですが、学校やアルバイトの予定を優先に手堅く進める傾向がありました。
平凡なのだから、真面目に、勤勉にやって成果を出さねば、と思い込んでいたところがあります。
この頃、自分の将来がどうなるかは、まったくイメージできませんでした。とりあえず人並みにやれるようになることなのかなあ、という仮説があっただけです。
裏にはそのままの自分ではきっと通用しない、という不安や自信の無さがあったのだと思います。
それを見抜いた人がいました。
3年生の時に入ったゼミの先輩が、「真面目なのはいいんだけど、なんだがお前は嘘くさいんだよね・・・。」と言われました。正直その時は意味が分からなかったのですが、その時点で「実は不安で、止む無く頑張っているんです!」と切り返すことが出来ていたら、何かが変わっていたのかもしれません。
ちょうど就職氷河期世代であり、「頑張らないと職にもありつけない」という不安感も大きかったのです。幸い私はデフレを味方につけた小売業から内定を頂くことが出来、不安と期待が織り交ぜになりながら新社会人に進んでいきます。
卒業旅行で訪れた大分県・湯布院の温泉につかりながら「こんな優雅なことしていられるのも、今の内なのかなあ・・・。」と将来への漠然とした不安を感じていました。
【社会人・家電量販店時代 「地獄」を味わう】
2002年4月、新社会人として家電量販店に入社しました。当時会社は成長期を迎えていたこともあり何百人という同期が入社、幸い店舗にも同期が多数配属になったこともあり、思い返すと会社というより体育会の部活動のようなノリでした。
仕事の中心は接客販売です。お客様に商品説明をした結果として、沢山買っていただくために働いていました。幸い大人の方と会話するのは得意だったので、比較的すんなり仕事に馴染めました。
最初の配属先の上司も体育会系で、当初はおっかない印象でした。しかし部下の良いところを見つけると、みんなの前で褒める優しさも持ち合わせている方でした。担当商品も持たせてもらい、しばらくは順調な日々を過ごしていました。

そんな中、上司が交代。20年間の会社員時代でも特に辛い時期が始まります。
事前に色々な評判を聴いていた方で、部下の好き嫌いがはっきりしている印象でした。
不幸なことに私はその上司の嫌いな部下に入ってしまったらしく、私の事を扱いにくそうにしている感じがしました。
今思えば同じ思いでいたのはどのメンバーも一緒で、私も含め皆怯えながら仕事をしている状況でした。
その頃の私は怒られるのでは、という恐怖心で仕事の集中力を欠いてしまい、それがミスと悪い結果を生む、という悪循環に陥っていました。最後の頃は売り場に出ることとお客様への接客を止められ、ずっと倉庫整理をしている状況でした。
店員にとってお客様に直接声をかけるのを禁止される、というのはいわば引退勧告のようなもので、今思うと他のスタッフへの見せしめだったのだと思います。
この頃その倉庫近くのホームシアター機器のコーナーでMISIAさんの「めくばせのブルース」という曲が良く再生されており、はげまして貰っていました。今でもこの曲を聴くとこの頃を思い出します。
鬱々とした日々が続きましたが、このままでは終わらない、何かいい予感を感じながら仕事をしていました。自分でも、こういう直感は当たる方だと自覚しています。
【社会人・家電量販店時代 一転、成長の機会を得る。】
この状況の中、藁をもすがる思いでカウンセリングを受けてみました。その際にカウンセラーから「それはパワーハラスメントですね」とコメントを貰ったことを覚えています。
何か状況が変化したわけではなかったのですが、傾聴と共感を得てすっきりした記憶があります。カウンセリングの効果を実感できたことがカウンセラーを志すきっかけに繋がりました。
そんな中、上司の上司である店長が状況に気付いてくれ、店内での売り場異動となり危機を脱出できました。この店長には今でも感謝しています。
新しい売り場は娯楽色の強い商品群だったこと、新しい上司が寛容な人だったこともあり、まるで転職したかのように、すっかり元気に仕事が出来る様になりました。
丁度大型商品の売り出しが重なり、売り場としての業績もよく、それまでの地獄のような日々が急に天国のように感じられるほど変化しました。
その環境で過ごしていく事で自信もついてきて、周囲からも責任者代行のような役割を期待されるようになります。
この頃上司からの理解と協力もあり、「産業カウンセラー」資格を取得。実践の場は持たないまでもカウンセラーとしての一歩を踏み出します。
カウンセラーの実習では、模擬カウンセリングとして相談者役も沢山経験します。その中で内省する中で、仕事観に対してもある変化がおきます。
倉庫整理の時に希望を失わなかったように、楽しく働く環境の中で「このままでいいのかな?」という不安がもたげてきました。
現状に流されて実力もないまま管理職になっても却って良くない、と思うに至り転職を決意。
幸い子どもの頃から良く利用していた、ある専門店の中途採用にて内定を頂くことが出来ました。
【社会人・専門店時代 「子ども」の自分を庇う「大人」の自分に気づく】
2007年6月、新しい会社での仕事が始まりました。
店舗での販売職としての勤務となり、最初は仕事の進め方や役割の違いに戸惑いを覚えたものの、コツを掴むことが出来た頃から段々と前職とは違う仕事の面白さを味わう事が出来ました。
大きかったのは商品の仕入れ権限を持てたところです。責任も伴う分、自分が仕入れた商品をお客様が喜んで買って頂く経験は、商売の原点を感じることが出来ましたし、主体的に行動することが成果に繋がる経験を沢山させて貰いました。
この頃、キャリアカウンセリングの講座を受講し、産業カウンセラー資格とキャリアカウンセラー資格を得ることが出来ました。
仕事は5年が経過し、楽しく仕事出来るようになった頃、初の本社勤務の経験が回ってきます。
店舗開発の部署への異動となり、人生初のオフィスワークでしばらく試行錯誤の時期が続きました。当時の上司から、「もっと集中しなさい」と言われ、「あれ?」と思うことがありました。ずっと売り場で周囲に気を配る習慣が身についていたので、無意識にきょろきょろ周りを見回す習慣が身についていたようです。
こういった経験もしつつ、少しずつ店舗開発業務の必要知識を学んでいきました。幸い新店舗の開業が複数進んでいた時期で、私も開店に至る準備を最初(売上予測)から最後(開店後の興業費精算)まで完了する、という経験が出来、手ごたえを掴んでいきました。
反面、部を率いる上司からいろいろ「ご指導」を頂くことが増え、そのことが仕事への辛さとなって表れてきました。家電量販店時代に味わったパターンの再来です。

その上司としては向井を叱咤激励して更に成長させよう、という意図があったのだと思われます。
ただ、その時の私はそう客観的になれず、言われれば言われるほど体も頭も固まってしまい、指摘されない・怒られないことに精一杯という状況に陥りました。前職時代の不調期と全く同じパターンです。
この時、なぜか頭の中の「子どもの自分」を「大人の自分」が必死に庇っているような思いを味わっていました。(その理由は後で分かりました。)
【社会人・専門店時代 「不機嫌な大人」問題を乗り越えてゆく】
休みの日は本屋さんの自己啓発書コーナーに行き何か解決の糸口が無いかを自分で探す日々。出店に関する最適解を探るのが本来の仕事目的のはずが、上司に怒られないことが仕事目的のようになっていきました。
いよいよ会社に行くこと自体が辛い状況となり、それまで抵抗があった心療内科にお世話になることを決めます。(状況を見ていた家族も後押ししてくれました。)
ここで出会ったのが、今特別外来を担当している東京・神田の「ベスリクリニック」でした。
今でも忘れられないのが、主治医の田中伸明先生より「きみはきっと幸せになる(から大丈夫)」と励まして頂いたことです。理由は分からなかったものの「自分は本当にそうなれるに違いない」と、心の拠り所を持つことが出来ました。
こういう辛い時期は、本人の存在をありのまま認める声掛けというのが本当に力になるのだ、と実際声掛けして頂くことで実感しました。
治療の中で、タッピングセラピー(事実と感情を切り離すことが出来る療法)に出会い、そこで退行療法(子どもの頃の自分と対話)を受けました。
子どもの自分と大人の自分との対話の中から、自分の無意識レベルに「不機嫌な大人への恐怖心」があり、「自分は大人を怒らせてはいけない」という囚われがあり、そういう状況を極端に恐れる子どもの自分を大人の自分が慰める、という機会を持ちました。

他人が私の事をどう思っても、私は私らしくいていい、という原則を打ち立てる事が出来、他者との比較で追い詰められることが、なくなっていきました。
このセラピーを受けた後、夜中にハタと目が覚め、「生き易くなったな」と実感したことを覚えています。
幸い部署異動することになり、環境が変わることで一旦状況は快方に向かいます。
【社会人・専門店時代 「バンジージャンプ」をやりたくなった理由】
部署異動先は、新規事業の企画職でした。
丁度会社として既存事業とは異なる収益源を模索し、いろいろ挑戦しており部内は個性的な人材が集まり活気がありました。
前の部署の経験を活かし、期間限定ショップの賃貸借契約を担当したり、前任者から引き継いだ企画の調査等、楽しく仕事を進められる時期がしばらく続きました。
自分が担当している企画に前のめり気味となり、部内からの期待を感じて頑張るものの、会社の業績の停滞から新規事業に対する風向きも冷たくなっていきました。会社の業績の停滞と新規事業の不振から、新規事業への資源配分が目に見えて減っていきました。
「何か新しいことをしろ、でも失敗するな」という会社からのプレッシャーは、どの会社でも新規事業担当者共通の悩みの様です。
この辺で再び仕事が辛くなっていきました。
担当する新規事業の企画は、あたかも自分自身のように見えてくるのですが、(これも新規事業の担当者共通の様です。)当時実施していたテストマーケティングで思うように成果が出せず、一度取り戻した自信が急速に萎えていく日々でした。
追い詰められた私は四六時中仕事の事が頭を離れなくなったものの、むしろ疲労が蓄積して新規事業担当者に必要な冷静な視点や創造性が失われていく悪循環に入りました。「なんとかしなきゃ」と思うものの「何ともできない」状況の葛藤。
他者のせい、というより状況のせい、というのは今まで経験したことが無いパターンで、それへの戸惑いもあったのだと思います。
幸い家族が状況を理解してくれ、実家で生活してそこから会社に通勤していました。

この頃、ビルの屋上から地上を眺める夢を見ることが何回かあり、夢の途中で目が覚めて、隣で父がスヤスヤ寝ている様子を見て我に返っていました。
この時家族がそばにいてくれて、本当に良かったと心底思います。
高いところは苦手なのに、バンジージャンプで一旦飛び降りたような感触を味わって、一旦それまでの人生を終わらせた設定にしてみようか、と思ったりしました。
(生物的に死にたいわけではないが、社会的な私を一旦終わらせて再生したい、と思ったことの現れ。本来バンジージャンプは明るい娯楽なのですが、追い詰められた自分にはそう見えた、という事です。)
まさに行き詰まっていました。
今振り返ると、自分でも手に汗握る状況です。
【社会人・専門店時代 「ラスボス」との和解】
改めて心療内科のお世話になり、今までの人生を見直して行きました。
大きかったのが、HSP(敏感気質)という概念との出会いです。それまで感じていた他者との違いの大部分は、この概念の当事者であることで説明がつくことが理解出来ました。
それまでの私は、自分の個性や気質からくる他者との違いを自分の努力不足が原因の「問題点」である、と理解していました。
他者からの指摘以上に自分で自分にプレッシャーをかけ、それが嫌になってさらに目を背ける、という悪循環に陥っていました。
タッピングセラピーで他者への恐怖心はほぼ解消していましたが、改めて自分自身への不安や不信が自分を追い詰めていた、という構造に気付くことが出来ました。

「不機嫌な大人」への恐怖心は、いわば「不機嫌な自分」への恐怖心だった、
と今となっては分かります。
『ラスボスは自分自身』だったのです。
(※ラスボス:テレビゲームに登場する最後の難敵)
この時38歳。自分との和解に至る道をここから歩みだしました。
【社会人・専門店時代 新たな自分の出発へ】
仕事への行き詰まりから自分らしい生き方の模索を始めました。
ここで援軍も現れます。傍らで見ていた両親が、「これからは、自由に生きなよ」と励ましてくれたのです。自分への和解が始まっていたタイミングでこの発言を貰えたのは、後の歩みに良い影響を与えてくれたと感謝しています。
いきなり転職するのではなく、生き方自体を変化させるための方法を探ることにしました。
幸いキャリアカウンセラー資格のお陰で、こういう時にどのような行動を取ればいいかは理解出来ました。
「とにかくモデルになるような人を探そう!」
そう思い至りユニークな生き方をしている人たちに出会いに行きました。
地方居住されている方をたずねたり、農業の手伝いをしに行ったり、介護職の職業体験をしたりと、気になる人たちにどんどん会いに行きました。

仕事の内容もさることながら、働く人たちが幸せそうな事に感銘を受けました。
利潤追求一辺倒の環境から、また違った価値観や仕事の軸で生きている人たちに出会い、「いつかは自分も・・・」と強く思うようになりました。
この辺りから、自分の価値観が、「人と比べる」ことから「自分らしくある」という風に変化していき、その基準での選択が増えていきます。
担当していた新規事業の企画は、残念ながら試行段階で終了という判断となり、再び店舗勤務の担当に戻ります。
それまでの本社での経験を活かし、売場を活性化する企画の担当者としての役割が期待されていました。
周囲の理解と応援も頂き、少しずつ成果も感じられるようになりました。
自分を大切にする、ということを意識するようになってから、取引先や出会う人も変化していきました。
他社との比較ではなく、自社としてどのように価値を届けるか、に集中している会社との取引を開始することが出来、それが成果に繋がっていきます。
無理をしない、他人と比較して背伸びしなくても自分らしく率直な対話を重ねることで、いいご縁が築けることを学びました。
【社会人・兼業時代 カウンセラー業を開始、そして・・・】
自分らしい今後を想像するゆとりが出来てきたころ、健康診断感覚で通院していたベスリクリニックで、「いつかキャリアカウンセリングの仕事をしたい」と話していたところ、前述の田中伸明先生から「やってみたら?」と思わぬ提案を頂くことが出来ました。
丁度キャリア支援の方法を、クリニックとしても模索されていた時期だったようです。
2019年1月に、特別外来・「キャリアデザイン外来」がスタートします。
諸先生方からのアドバイスはあったものの、基本的には私が内容の企画・運営をする体制です。本社での企画職の経験がここで活き、手ごたえを掴んでいきます。
ここには多くの患者様のご協力と、定休日を頂いて休むことへの、会社の仲間の理解があったことは忘れません。
週休1日になりましたが、仕事とは違う対人支援の仕事のやりがいと、自分で企画・運営をする自主性を発揮でき、会社の仕事とは違う充実感を感じました。
副業開始後の方が逆に会社での評価も高くなり、仕事を両立出来たことはカウンセラーとしての独立の際に励みになりました。
・・・私の充実感とは裏腹に、新型コロナウイルスの影響が本業の会社を直撃、業績は厳しくなっていきました。
後述するミニマリスト的価値観の影響で、モノそのものへの想いも薄れてきていました。
そんな厳しい中でも生き生きと働くメンバーを見ていると、私の中に「自分は潮時だな」という想いが芽生えてきました。
キャリアカウンセリングの仕事の方は、難しいケースを乗り越える経験を重ねていく事で自信が持てるようになってきました。
「これを本業にしよう」という想いが高まっていきました。
決意してから1年を経て、会社を退職することになりました。
ちょうど新卒から満20年の節目の日に会社員は卒業。
最後「退勤」のタイムカードを押して店舗を出た時、自分自身にホッとした心境で「お疲れ様でした。」とつぶやくことが出来ました。
【30代後半~ 本当に自分が欲しいモノは何か?を意識しだす】
要領よく立ち振る舞えない私は、人生においてもいろいろな回り道をしてきたなあと、今感じています。
大きく変わったこととして、モノとの付き合い方の変化が挙げられます。
鉄道模型という「持っている事」がステータスの趣味を昔から続けてきた事で「モノを溜める」傾向にありました。
根っこには「いつか必要になった時に、ないと後悔するかも」という捨てることへの不安感がありました。

不安な気持ちをモノの所有で紛らわせていた、というのも大きいと思います。
30歳の頃に将来のため、ということで中古マンションを購入したこともあり、モノを置く場所も確保できたのです。
そんな中でミニマリスト(自分の必要十分な量のものに厳選して生活する人)という考え方に触れ、それまで「いつか使うかも」という理由で貯めてしまっていたものを片付け始めました。
実際モノを減らす過程で本当に自分は何が欲しいのか、何が快適さを届けてくれるのか?を良く考えて取捨選択する習慣が身に付きました。結果、入居時と比べ「自分の家だと思える感覚」は増していきました。
マンション購入から10年目、ふと「もっと自由に住む場所を選べたらいいのでは?」と思い至りマンションを売却することにしました。
ミニマリスト活動で部屋の中がすっきりしていたことが良かったのか、部屋をとても気に入って下さった買主様と出会え、無事売却することが出来ました。
30代最後の大きなライフイベントが、「マンション売却」という人は珍しい(笑)のではないでしょうか。
ただ、自分らしい生き方の模索の結果であり、納得感のある決断になりました。
【30代後半~ 所有から自由になることで、「自分を大切にする」ことを学ぶ】
ミニマリスト活動は「人と比較しない」「自分で考えて、感じて決める」という良い練習になりました。
所有することが、本当に幸せに繋がるのか?自分を大切にすることに繋がるか?を自問自答することは自分らしく生きることのきっかけとして、おススメです。
私の場合モノを整理する基準を「嬉しい気持ちが味わえるか?」という、自分の気持ちを基準に設定できたのが良い経験になりました。
自分を大切にすることが習慣になっていくと、公私ともにそれにふさわしい人たちとの出会いに恵まれるようになってきました。
モノを所有することで不安感を解消しようとしていたのですが、所有から自由になることで、「自分を大切にできた。」という自信が、類は友を呼ぶで、「自分を大切にする」人たちとの出会いに繋がっていきました。
結局のところ、人間関係は、自分自身との関係の鏡写しです。

まずは自分を大切にして、本音と行動を一致させていくと、人間関係も自然と良化に向かう
という原理原則を理解するに至りました。
と同時に、「不安を解消するために、モノを買いたい。だから頑張って働かなければ」という動機の立て方は、仕事と人生の幸福感には繋がっていかない、という事に気づき出しました。
【現在 「カウンセラー」としてのスタート!】
20年間の会社員生活を卒業した翌日、ついに本業として、カウンセラーの仕事を開始します。
会社員でなくなる、組織の後ろ盾が無くなることへの不安感もありましたが、「きっといい出会いに恵まれる」という期待を原動力に日々のお仕事に取り組めている事に私自身びっくり(笑)しています。
こう感じられるのも今までの自分があってこそだと、自分自身に感謝したいと思っています。
患者様・お客様にも、未来の自分が、今の自分に感謝できる状況になるお手伝いをしたい、という想いが活動の原動力になっています。
一方、日本ではまだカウンセリングが、必要な皆様に十分届いていません。
何よりもその良さが、十分社会に認知されていないと問題意識を持っています。
特に、心理療法としてのカウンセリングと、行動変容のためのキャリアカウンセリングを調和させて活動していく事が、私の役割だと理解しています。
私自身この両方をミックスさせて自分を変化させていったことが、新しいキャリアを切り開くきっかけになったと実感しているからです。
小売業出身のカウンセラーとして、その価値を分かりやすくお伝えしていることも私の役割だと認識しています。
これは現在進行形で取り組んでいる課題で、新しい出会いへの期待感をもって、楽しく活動を進めているところです。
私自身のキャリアについては、自分自身にとってその時その時「自分がいい気持ちで働ける・暮らせる」ことを基準に決めていきたいと考えています。経済的な基盤はもちろん大切ですが、それだけが幸福を保証する訳ではない、というのが前述のミニマリスト活動の結論となりますので、バランスよく取り組みたいと思います。
【未来に向けて 時代と上手に付き合っていきたい】
今回、私のプロフィールを振り返り、実感したことがありました。
それは、「時代から、結構影響をうけているなあ」ということです。
70年代最後の年に生まれた私は、戦後の成長末期~バブル経済~失われた○○年という時代の流れの中で育ちました。
目まぐるしい時代の変化の中で、私たちに求められるものも変化してきた、と言えるのではないでしょうか。
経済だけを見ても、とにかく成長拡大が良いとされた時代、不況への対応を迫られた時代、経済一辺倒から持続可能性を求められる時代など、年々変化のサイクルが早まっていると感じます。
本人に自覚があればそこから自由になることも出来ますが、社会環境全体がそれに染まってしまうと、なかなか自分の意志だけを貫く、というのは難しいのではないでしょうか。
経済だけではなく、社会をとりまく価値観も変化していきます。
自分の生き方について、時代からの要請に対応せざるを得ないことも多々あります。
過去、私を悩ませてきた「不機嫌でコワい大人達」も自分の本音と建前の間で、止むを得ず求められた役割を果たしてきたのだと、今となると分かります。
過去感じていた私自身の不機嫌さも、時代との折り合いが上手くつけられず、かといって開き直ることも出来ずに空回りすることで生じてきたのだな、と実感しています。
これから、今までとは違った時代が訪れる、と予感しております。

大変な事・不安なこともありますが、基本的に人類は昨日よりも今日、今日よりも明日ということで一歩ずつ前進しています。
私たちの生活は、先人たちの絶え間ない営みの積み上げで成り立っていることを感謝しつつ、今は私たちの番だ、という自覚を持ちたいな、と私は思います。
どんな時代でも、幸せを実感して生きている人々はいます。
私もその皆様のお仲間となれます様、時代の空気と上手に付き合いつつ、自分らしい生き方の模索を続けていきます。
そして、皆様にそのように実感して頂くお手伝いを生業に歩んでいきます。
長文となりましたが、ご覧いただきありがとうございました。
皆様にお目にかかれることを楽しみにしております。

向井 崇広 拝